僕を見つけた日長い、長い、ひとり。
どれくらいここにいるんだろう。
前は何処にいたのかは忘れた。
覚えてるのは、うるさいくらいに降る雨と、
白い羽根の生えた、とてもとても怖い人。
「君は、生まれて来てはいけなかったんだ」
鋭い目で僕を見て、そう呟いていた。
ずっと真っ暗だったのに、ある日、光が入ってきた。
久しぶりな気がする光はまぶしい。
僕の目を、僕そのものを、燃やしてしまいそうなくらい。
その光の射す方から誰かが来た。
背の高い、髪の長い人。
血みたいな赤い目が、僕を見下ろしている。
「ネフィリムの生き残りか。上手く隠したものだ。
グリゴリは軽薄な連中が多いと聞いたが、
お前の親は、随分とお前を愛していたのだな。」
ネフィリムって何だろう。
昔、そう呼ばれてた気はする。
僕も、僕以外の、とても大きな子たちも。
グリゴリって何だろう。
昔、僕の頭を撫でてくれた人が、そう呼ばれてた気がする。
「お前はこの先どうするつもりだ。
一度人類を一掃したこの地上は、
更にあの創造者の信徒を増やしていくだろう。
お前の様な、奴の意に反した存在が易々と生きて行ける世界ではない。
それでも生きるのか。」
難しい話だ。
何を言っているのかよくわからない。
「ああ、ネフィリムと言えどもまだ子供か…
要するに、お前はこの先どうしたいのか、と聞いているのだよ。」
どうしたい?
僕はどうしたいんだろう。
今までどうしていたかも覚えてないのに。
それに、僕は何が出来るんだろう?
何がしたいんだろう?
「まだ行く先を見つけられないのであれば、私と共に来るか。
幸福な道とは言えないが、この地上を一人で歩むよりは少しは安全だろう。
そのうち、お前が真に望む道も見つかるかもしれないぞ。」
屈んで、僕の目をまっすぐに見た。
何でか思った。この人は優しい人だと。
あの羽根が生えた怖い人みたいに、僕を嫌っていないんだって。
この人と一緒にいたら、いつかわかるのかな。
僕は誰なのか、僕はどうしたいのか。
「…あなたは、誰?」
「我が名はルシファー。
創造者に抗い、故に地の底に堕ち闇の王となった者。
お前の名は何と言う?」
ああ、一つだけ思い出した。
ずっと誰にも言わなかったから、
誰にも呼ばれなかったから、忘れてたけど。
昔、誰かが呼んでた。
僕の頭をなでてくれた人と、
僕を抱きしめてくれた人が。
「…アスモデウス。」
「破壊の神、か。それとも神を破壊する者、か?面白い名だ。
アスモデウス、私と共に来るか」
久しぶりにそう呼ばれて、僕はうなずいた。
伸ばされた白い手はとても細くて冷たいけど、あったかかった。
「ルシファー!こんなとこにいたの?!
何して…ってその子誰?」
「ネフィリムの生き残りだ。この地下洞に匿われていた。」
「うそっ、ネフィリムって生き残りいたんだ!
でもこの子小さくない?ネフィリムって巨人でしょ?」
「おそらく父親であるグリゴリの堕天使の仕業だな。
他のネフィリムのように過度な成長をさせない為、魔力で抑えたようだ。」
「へえぇ…おれよりちっちゃいネフィリムなんて初めて見たよ。」
「ネフィリムは巨人だぞ。お前より小さい者がいる訳ないだろう。」
「むきー!そんなのわかってるよーだ!」
―――――――――――――――――――
今でも僕は、雨が怖い。
愛を欲して彷徨いながら、拒絶されることを恐れている。
かつて「白い羽根の怖い人」が放った言葉に幾度となく怯え、
自分の存在を必要としてくれる対象を求め続ける。
あの頃と変わったかと言えば、多分大して変わっていない。
違うのは、今の僕には帰る場所があること。
どんなに否定されても、傷を負っても、
この場所は僕を受け入れてくれる。
ここがあるから、僕はこの弱い心を抱えたまま生きられる。
今僕がここにいるのは、あの日、あなたが来てくれたから。
あなたに連れられて向かった先で、僕は「家族」と初めて出会った。
生まれてはいけなかったと言われた僕を、愛してくれる人達がいた。
こんな僕でも生きていていいのだと、教えてくれた。
「ねえ、ルシファー様。昔、僕を見つけてくれた時、
どうして僕を連れて帰ろうと思ったんですか?
僕がネフィリムだから、利用できると思ったとか?」
「何だ、唐突に…まあ、そうだな。そんな所だ。」
「えっ、冗談だったのに…そうだったんですか?!
ちょっと酷くないですかぁ!」
「何を言うか。私は神の敵対者。諸悪の根源だぞ。
利用出来る物は利用する、当然の事だ。」
「そうですけどぉ!
もうちょっとオブラートに包んで言ってくれたっていいじゃないですかぁ!」
「何事も切っ掛けなどそんなものだ。後は時を経て結果として着いてくる。
例え当初は利用するつもりでも、長年共に過ごしていれば、
ある種の感情も生まれてくるものだろう。」
「えっ!それってそれって」
「私もリリスも、お前のことを我が子だと思っている。
そしてベルゼバブもお前を弟として可愛がっている。
誰が何を言おうが、共に過ごして来た時が、かつては無関係であった我々を結びつけた。
お前が聞きたいのはそう言うことか。」
「ううっ、パパ…じゃなかったルシファー様…
なんかちょっと言わせちゃった感あるけど、それでも嬉しいです…」
「いや、どう考えても言わせるように仕向けていただろう」
「細かいことは気にしなくていいですよぅ…
僕、やっぱりルシファー様の子になれて良かったです…ぐすっ」
「まったく、すぐ泣くところは子供の頃と何も変わらないな…
大人になったのではなかったのか。」
「大人ですよぅ…大人だって泣く時は泣くんですよぅ…」
「私は泣かないが。」
「ふえぇ…」
僕を見つけてくれたのがあなたで良かった。
あなたが僕を見つけた日、僕も「僕」を見つけたんだ。
雨の彼方に忘れてしまった過去は戻らないけれど、
あの日から始まった「僕」がいる。
今が凄く幸せだとは言えない。
辛いこともいっぱいあったし、これからもきっとそうだろう。
でもあなたが、あなた達がいるから、
僕はそれでも歩き続けられるんだ。